2025年11月24日月曜日

色覚異常の子供を持つ親御さんへ。軽度色弱のエンジニアが、60年近く生きてきて伝えたい「諦め」と「希望」

 はじめまして。私は現在58歳、電気系の技術者として働いてきました。 

こうして技術者として定年近くまで勤め上げてきましたが、私には**「軽度の色弱(色覚異常)」**があります。最近は強度の難聴も加わりましたが。

新学期や就職活動の時期になると、色覚異常のお子さんを持つ親御さんは、「子供の将来に支障がないだろうか」「希望する職業に就けるだろうか」と、心を痛めることが多いのではないでしょうか。

今日は、私がこの半生で感じてきた「壁」と、それをどう乗り越え、あるいはどう受け入れてきたかについて、実体験をまとめてみたいと思います。結論から言えば、**「適切な諦めは必要だが、道は無限にある」**ということです。

時代とともに変わりゆく「制限」

まず、社会の受け入れ態勢についてです。 私が学生だった40年ほど前を振り返ると、理科系の大学、特に医学部や一部の工学部への入学には厳しい制限がありました。色覚に異常があるというだけで、門前払いされることが珍しくなかったのです。

しかし、現在は状況が大きく変わりました。大学入学における色覚制限は、一部の特殊な学科を除き、ほとんど撤廃されています。これは非常に喜ばしいことです。

就職においても、かつては「色覚異常お断り」と一律に制限していた企業が多くありましたが、この20年間でかなり緩和されました。多くの職種で、能力本位の採用が行われるようになっています。

「なれない職業」には、納得できる理由がある

それでも、依然として厳格な制限が残る職業はあります。その代表がパイロットです。

自衛隊を例に挙げると、人材不足を背景に身体検査の要件全体は緩和傾向にありますが、パイロットに関しては「色覚は正常な者に限る」という基準が堅持されています。 パイロット以外の自衛官については、以前は「色覚正常」が原則でしたが、現実に中程度の色覚異常者も採用されるようになり、最近の募集要項では「色盲または強度の色弱以外のものであること」と、より具体的な基準へと明文化されました。

実は、私もかつてはパイロットに憧れた一人です。 「軽度ならなんとかなるのではないか」…若い頃はそんな淡い期待を抱いたこともありました。

しかし、長年技術者として働き、種々の経験をとおして、今でははっきりと分かります。**「私はパイロットになれるものではなかったのだ」**と。

例えば、鬱蒼とした森の中に遭難者がいて、オレンジ色の救難信号を出していたとします。正常な色覚の人ならば、緑の中に浮かぶそのオレンジを瞬時に識別できるでしょう。しかし、私にはそれがちょっと難しい。緑とオレンジのコントラストが、一般の人よりも遥かに弱く感じられるからです。ちょっとのことかもしれないけれど、助けられる命を死なせてしまう可能性もあります。救助を待つ者からすれば、「パイロットが色弱だったから仕方がない」とは思ってくれないのです。個人の「なりたい」という願望を優先するわけにはいかないでしょう。

人命を預かり、極限状態での判断を迫られる職業において、この数秒の遅れは致命的です。制限があるということは、意地悪や差別ではなく、**「その業務を安全に遂行するために必要な、合理的な理由がある」**ということです。 今の私は、自分がその職に就かなくて本当に良かったと、心から納得しています。

とはいえ、生まれ変わったら何になりたいと聞かれたら「今の仕事はしたくないけど、やはりパイロットかスナイパーになりたい」と抜かしていますが。

日常生活で感じる「見え方の違い」と不便さ

「軽度」とはいえ、やはり正常な色覚の人とは見えている世界の色味が違います。日常のふとした瞬間に「困ったな」と感じることは、今でもあります。いくつか具体例を挙げてみましょう。

1. 地下鉄の路線図という迷宮

一番身近で、今でも困っているのが地下鉄の路線図です。 特に東京の路線網は複雑怪奇で、路線ごとに色分けがされていますが、路線の数が増えすぎて似たような色が溢れかえっています。「メトロのこの線」と「都営のあの線」、私には途中で色が混ざってしまい、どこで乗り換えればいいのか、目で追うことができなくなります。 ユニバーサルデザインの観点から、色だけでなく線の種類を変えるなど、もう少し見分けやすい工夫をしてほしいと切に願います。

2. 化学実験での「色判定」

大学の一般教養で受けた化学実験も鬼門でした。 試薬を混ぜた時の反応色。「黄色」なのか「黄緑」なのか、あるいは「緑」なのか。この微妙なグラデーションが、私には全く見分けられませんでした。 隣の友人に聞くと、彼らは当たり前のように「これとこれは違う色でしょ」と即答します。「ああ、やっぱり自分が見ている世界と、彼らが見ている世界は違うんだな」と痛感させられた瞬間です。 学生実験レベルだったので、友人に聞いて事なきを得ましたが、もし私が化学科に進んでいたらと考えるとゾッとします。化学は好きでしたが、進路に選ばなくて正解でした。

3. 電気抵抗のカラーコード

私は電気系の専門家ですが、ここでも壁はありました。 「抵抗器」という電子部品には、その抵抗値を表すために「カラーコード」と呼ばれる色の縞模様が印刷されています。赤、紫、橙、金…。この色の組み合わせで数値を読むのですが、いくつかの色の区別がつかないため、目視だけで値を特定することができません。 電気科の人間としては致命的か? と思われるかもしれませんが、実はそれほど気にしていません。なぜなら、**「テスター(測定器)」**を使えばいいからです。 文明の利器を使えば数値は正確に出ます。自分の目の特性を道具でカバーすれば、仕事上の支障はありません。まあ、基板に実装されちゃった抵抗は測れないのですけれどね。今はそれ以前に、大学の電子工学科卒業でも、はんだ付けすらできない者がたくさんいます。カラーコードは見えなくてもほぼ問題なしです。

ビジネスシーンでの「色の暴力」

最後に、仕事をしていて最も困る、というか「やめてほしい」と思うのが、配色のセンスがない資料です。

昔はカラー印刷のコストが高かったため、グラフを作る際は「実線」「破線」「点線」を使い分けたり、ハッチング(斜線などの模様)を入れたりと、白黒コピーでも判別できる工夫がされていました。 しかし、カラー印刷やプロジェクターが当たり前になった今、安易に色だけに頼った資料が増えています。

中には、**「緑色の背景に、赤色の線や文字」**でグラフを作る人がいます。 これは私のような色弱者にとっては、もはや「見るな」と言われているに等しい配色です。背景と文字が同化してしまい、何が書いてあるのか全く読めません。 作成者は「補色で目立つはず」と思っているのかもしれませんが、色覚バリアフリーの観点からは最悪の組み合わせです。プレゼンテーション資料などでも同様のケースを見かけますが、情報を伝えるための資料が、一部の人には解読不能な暗号になってしまっています。こればかりは、社会全体の意識改革が必要だと感じています。いやいや、社会全体の意識改革までいかなくても、資料作りのテクニックとして社員教員してよと思います。

基板にはんだ付けなどしていなくて、プロジェクト管理が主なのでパソコンに向かっているか人と話をしているかが実際


まとめ:諦める勇気と、その先にある可能性

色覚異常の方、あるいはその親御さんへ。

もし、お子さんが将来の夢として、色覚制限のある職業(パイロットや鉄道の運転士など)を挙げていたら、それはとても辛いことですが、現実を教え、「向いていない」と諦めさせることも優しさだと私は思います。

それは「能力が劣っている」からではなく、「身体的な特性がその業務の安全基準と合致しないから」です。無理をしてその道に進んでも、本人も周囲も、そして何より守るべき安全も脅かされてしまいます。

しかし、悲観する必要はありません。 世の中には、色覚が必須要件ではない仕事の方が圧倒的に多いのです。 私は電気系の技術職として、博士号を取り、長く仕事を続けてこられました。抵抗の色が読めなくても、テスターを使えばいい。化学反応の色がわからなくても、化学以外の科学分野で活躍すればいい。

避けるべき業種さえ避ければ、仕事をする上で「どうにもならない不都合」を感じることは、振り返ってみればそれほど多くありませんでした。工夫一つでどうにでもなることばかりです。

若い頃は、この「踏ん切り」がつかず、葛藤することもあるでしょう。自分が否定されたような気持ちになるかもしれません。 でも、大丈夫です。あなたの能力を発揮できる場所は、必ず他にあります。 「できないこと」を数えるよりも、「できること」に目を向け、道具や工夫でカバーしながら、自分の専門性を磨いていってください。

58歳のいち技術者として、皆さんの未来が色鮮やかな成果で満たされることを応援しています。

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